「ごめんね、友達と話してたら夢中になっちゃって。携帯も充電きれちゃってて。ねぇ、精市」





人もまばらになった部室でラケットを手で遊んでいた俺の耳にの声が届く。横目でちらりと声の方、部室の扉を見れば、の目の前に立った幸村の奴の顔には不機嫌という言葉がそのまま浮かんどった。今までにも何度か見たことある光景だ。いい加減、が時間を守るか幸村があきらめるかしたらええのにのう。と余計なお節介を喉まででとめる。



俺は視線を手元に戻した後も出るぞ、もうすぐ出るぞ、と二人の様子をうかがいながら耳をすませる。
















「ねぇ、怒ってる?」


















申し訳なさそうなの気持ちを十分に含んだその言葉に、きつい練習が終わって丸々一時間、シャワーも浴びずにイライラしながら待っていた幸村の怒りはどこにも吐き出されることなく「怒ってないよ、帰ろう。」という穏やかな笑みに代えられる。





幸村がの背中を押しながら部室を出るのを見送ると、入れ違いに入ってきた柳生が「珍しいですね、仁王君がこんな時間まで残ってるなんて」と少し驚いたような顔をしよった。本を読むでもなく予習をするでもなく、ただ椅子に座ってイライラする幸村が気になってつい長居してしまったことは言わんでおこう。











は正真正銘の幸村の彼女じゃ。
付き合い始めの頃は、「あの幸村の彼女とは」と注目されたりもしたが、今は落ち着いて校内のカップルの中の一組として扱われている。
二人はクラスも別じゃしそこまで一緒にいるわけじゃないが、が幸村の練習が終わるのを待って一緒に帰ったり、たまに図書室なんかで一緒にいるのを見かける。



俺も最初は幸村と付き合えるなんてどんな女じゃ、と好奇心で見に行ったがどう見ても普通よりちょっと可愛いくらいの女子なにこれといって突出した何かがあるとは思えんかった。










だがある日、テニス部の奴らと昼飯を食べようとみんなで食堂に行った時に、前を歩いていた幸村が突然立ち止まった。その視線の先にはが一人の男子と楽しそうに会話しており、幸村の足が止まった原因はそれかとすぐに推測できた。
すぐ前まで隣の赤也のくだらない話に笑顔を浮かべて頷いとったのに、視線がするどくなり赤也がその様子に何事かと青ざめとった。







「あ、幸村くん。」







そんな幸村に気付いて、が男子との話を打ち切ってこっちにかけてきた。その行動にも幸村の機嫌は回復せずに「あいつさ、に好きって言ったことある奴だよね?」と憮然としてに問いかけた。俺たちは一応、気を遣って二人から距離をとってたんじゃが、俺の意識は幸村との方に向いとった。








「あ、うん。でも結構前のことだよ。あの子、もう彼女いるし。」


「ふうん。」







の言葉に納得してないのか、幸村は冷たい反応を見せた。気持ちはわかるが、話してたくらい許してやりんしゃい、と思いながらも矛先がこちらに向くのはごめんなので余計なことは言わないで黙っとった。もちろん赤也も柳もテニス部の連中はみんなそうだ。少しかわいそうに思いながらもを見ると、不安そうな顔をして幸村を見ながら口を開いた。






「ねぇ、精市、怒ってる?」













怒ってる相手にその確認はどうなんじゃろ。と思ったが、その言葉を投げかけられた幸村はその不機嫌な顔を即座にしまい込み、優しい笑みを作って「僕がそんなことで怒るわけないじゃないか。」とに笑いかけた。



俺はその時、なるほどのう。と思い柳に視線を投げかけたが柳の表情はいつもと変わらずに赤也と共にメニューを眺めとったので、俺と同じことを思っているかどうかは確かめれんかった。その日の放課後、もう一度柳に「は幸村の扱いがうまいのかのう。」と聞いてみたが、柳は「俺は人の恋愛まで観察はしない。」と話にはのってこんかった。









ただ一度気付いてしまうとずっと気になってしまうように、がなかなか部室に来なくて練習後に幸村が尋常じゃない回数で時計を気にしながら部誌を書いてたり、が幸村との約束をうっかりと忘れていたり、幸村の制服にが飲み物をこぼして染みにしてしまった所なんかに遭遇すると、俺はつい立ち止まって眺めてしまうようになった。




その度に、顔をこわばらせる幸村の空気を読んだようなタイミングでが「ねぇ、怒ってる?」と様子を伺いながら問いかけて、幸村が怒りをあらわにできずに「そんなこと」としまい込んでしまう場面がお決まりのようにあった。







怒りを表すよりも先に「怒ってる?」と投げかけるのは、プライドの高い幸村にその怒りをひっこめて平静を装わせる。それをが意図的にやっているのか自然とできてしまうのかは解らんかったが、があの幸村と付き合えとるのはそういう質なのだろうし、幸村がたやすく怒りを笑顔の下にしまってしまうのも、のことが好きだという証拠なんじゃろう。
一度、練習試合で負けてしもうた赤也に「部長、怒ってますか?」とやらせてみたら、「当たり前じゃないか。」とふっとばされてたからの。


























「あー、誰もいないよ。ここでお昼しようよ」




今日は暖かく昼休みに屋上の貯水タンクでの横で寝とったら、扉の開く音と何人かの女子の声で目が覚めた。その声の中に聞いたことあるトーンと「」という単語が混じっていて、がいるのが読み取れる。どうやらむこうから俺の姿は見えんらしく、貸し切りだとか嬉しそうな会話が聞こえてくる。
場所を決めてからしばらくテレビ番組と芸能人の話題が続いて、うるさいのう。とあくびをしながら思っとったら、女子の一人が「でもさぁ、幸村君と付き合うとか大変そう」と少し目が覚める話を持ってきよった。









「うん、テニス部とかですごい厳しいんでしょ?」
「真田君も怒鳴ってて怖いけど、幸村君は静かなのに怖いよね。」
「格好良いけど、なんか完璧主義っぽいよね。気難しそう。」
、どうなの?」






何人かが一気にに質問攻めにして、返答を待つ姿勢になったのが伝わってきて、俺も思わず聞き耳をたててしもうた。





「幸村くん、けっこう何でも許してくれるし優しいよ。」





みんなが思ってるほどじゃないよー。と笑い声まじりに言うがどんな表情をしているかとてつもなく気になったが、俺がここにいるのが見つかるのも今更なので顔をだすのはやめといた。




が確信犯なのか、天然なのかなんてどっちでも良いことじゃ。何よりも幸村が一番解っとるじゃろうし。下手に馬に蹴られて死ぬのも嫌じゃしの。あ、柳も一緒んこと思っとったんか。








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幸村には精市って呼ぶけど友達の前では幸村くんって呼ぶの良い。