「わっ!」






授業が終わった直後の放課後、まだたくさんの生徒の賑やかな気配が残る校舎。たまにしか使われない第二理科室の前を一人で歩いていたあたしは、突然扉ががらりと開いて、びっくりして少し身をひいた。













「オサムちゃん…」






開いた扉からいつものように派手な柄の帽子をかぶったオサムちゃんがでてきて、あたしに気付いて「ああ、か。」と呟いた。少し煙草の臭いがして、こんなところで煙草吸ってるなんて中学生か、と心の中で思っていたら、顔にでていたのかオサムちゃんは気まずそうに別の話題を持ち出してきた。







「そういやお前、千歳と遊んでばっかりせんとテニスしにこさせぇ」







あたしが千歳と付き合ってることはどうやら教師であるオサムちゃんにも伝わっているらしい。












「別にあたしが部活行かんといてって言ってるわけちゃうよ」

「お前らいっつも一緒におるやんけ」

「仲良しやからねー」













あたしがにこにこ笑ったら、オサムちゃんは「やってられんわ。」と面倒くさそうに言った。それにしても、千歳はあたしがいようがいまいが、テニスをしたい時にするだろうし、したくない時はしないのに。オサムちゃん解ってないなぁ。









「何?彼女と喧嘩でもしたん?」

「あほか。お前らより仲ええわ。とにかく、千歳にそろそろ顔だせゆうといてな」








そう言ってオサムちゃんはさっきあたしが来た方向へ歩き出した。きっと職員室に戻るんだろう。まだちょっと煙草の臭い残ってるからオサムちゃんの席の隣の女の先生に嫌がられるなぁきっと。でもそんな事は教えてあげずに、あたしはオサムちゃんとは反対の方へ歩いていく。すぐ中庭に出て、木の陰になってる所に大きな体が横たわっているのが見える。やっぱり、と思いながらあたしも芝生に踏み込んで何度口にしても気持ちがふわりとなる響きの名前を呼んだ。















「千歳」

「お、たい」

「やっぱり、ここにおった。」












あたしに気付いた千歳は、閉じていた目を開けて覗き込むあたしの顔を真っ直ぐと見つめ返してきた。目は閉じていたけど、眠っていたわけではないらしい。放課後のHRにも教室にいなかったから、爆睡かと思ったのに。そう思ってあたしも千歳の目を見ていると、考えていることを見透かしてでもいる様に千歳が優しく「俺もがここにおると思ってきたけん、おらんかったからのんびりしとった。」と呟いた。どうやら彼もここには来たばかりらしい。














もこっちきなっせ」












千歳が上半身を起こしてぽんぽんと自分の隣の地面を叩いたのに「うん」と頷いて、スカートを気にしながらそこに腰掛けた。頭の上のたくさんの葉っぱの隙間から日の光が滲むように入ってくるこの場所で、あたしと千歳はよくお昼を食べたり話をしたりする。もちろん休み時間や放課後であたしがここに来れるのと、千歳が学校に来ているのが重なった時なので、いつもこうやってタイミングが会うわけではないけれど。















「あ、そういえばさっきオサムちゃんに会ったよ。」

「最近会っとらんばい。」

「そうそう。テニスしに来いって。」

「あーそろそろ行かんとね。」












そう言いながらも千歳は再びごろんと横になった。口ではそんな事を言いつつ、今は行動する気がないらしい。あたしは座ったまま、片手を後ろについて上半身を支えて余った手を千歳の額の方へと伸ばす。普通の人よりもしっかりとした質感の髪があたしの指の間を通り抜けて、千歳が少し目を細めた。
















「行かないの?」

「今はといるからテニスの気分じゃなかけん。明日から」

「じゃぁ、明日はあたしがテニス部の練習見に行こっかな」














言いながら、あたしも地面に寝そべる。芝生の上とはいえ、制服がちょっと気になるけど、千歳にぴたりと寄り添えばそんなことも気にならなくなった。ついでにあたしといるからテニスしないとか、絶対そんな理由じゃないだろうという言葉を言われたのも気にしないことにした。千歳と一緒にいる様になってからあたしは少し大らかになっているらしく、友達はそれを少し千歳に似てきたと笑う。
けれど授業中にふらっとどこかへ行ってしまったり、気がつけば電車に乗って隣の県まで行ってしまう千歳にはほど遠いと、いつも思う。
















「なんやっけー?才気煥発の、」

「極みたい」

「そうそれ。」



「練習ではそんな簡単にださんよ?」

「えーそうなん?でもあの時の千歳かっこいいよ。」


「じゃぁ明日はちゃんと練習するばい。」

「そのままでもかっこいいけどね。」

「そんなこと言うのだけたい。」

「あたしだけでも良いやん。」













贅沢やねー、とまた手を伸ばして癖のついた髪を軽く引っ張れば千歳はいつもの笑みを浮かべた。あたしが千歳に初めて会った時も、彼は教壇の前にたってへらりとした笑顔を顔に浮かべていた。あたしは自分の席に座って、先生に紹介される千歳を眺めながら「なんだか変わった子だなぁ」という印象を抱いていた。でも嫌いじゃなかった。














「でもやっぱ面倒くさかね。」

「えー。」

「猫にでもなりたか。」

「猫?千歳好きだもんね、」

が猫になったらきっとむぞらしかね、」

「むぞ?」

「可愛かねー」

「じゃあ、あたし猫になりたい。」














体を四分の一だけ千歳の方に回転させたら、やっぱりしまりのない笑顔が目の前にあった。「にゃーん」と猫の鳴き声の真似をしてあげたら、ふっと笑って漏れた息があたしの額にかかった。そうしてあたし達はそれ以上の会話もなくお互いに目を閉じた。きっと今日もこの木漏れ日があたし達の上に落ちるのをやめたら、どちらかが起きてまだ眠っている方の寝顔をしばらく見つめてから学校の門が閉まる前にきっと手をつないで家に帰る。もしかしたら、通りがかった誰かが起こしにくるかもしれないけど、うるさい忍足くんや一年生の金ちゃんよりはやっぱりオサムちゃんがいいなぁ。
芝生の臭いに混ざった千歳の香りがそんなことを考えるあたしの鼻をやさしくなでた。















猫になりたい









-------------------10.06.11
リクエストありがとうございました!
黒樹さんに!マシュデリより5年間の愛をこめて!ヒナ