「寒!」 コートの襟やスカートをはいた足下から忍び込んでくる冷えた空気に思わず声をあげる。あまりの寒さに「寒いねー」と誰がいるわけでもないのに話しかけてしまった。さっきから頻繁に確認してしまう時間は8時42分。 真冬の寒さの中、あたしはここである人物を待っている。 ここというのはレギュラー用の部室の前で、ある人物というのは跡部景吾だ。 なぜかというと、あたしは部室の鍵を持っていないからだ。 5分の優しさ 昨日、金曜日の夜に跡部からマネージャーであるあたしに電話がかかってきた。内容は今日の10時からの練習の前に、部員のデータ整理をするのを手伝えというものだった。 「わかった。じゃあ9時に行けばいいよね?」 「そうだな。悪いが頼む。」 「大丈夫だよ。あ、でもあたし鍵持ってないよ。今日は日吉が遅くまで残ってて最後だったから渡してきちゃった。」 「それなら俺が持ってるから問題ない。」 「そっか。じゃあ、また明日ね。おやすみ。」 「ああ。早く寝ろよ。」 跡部の絶対言わない”おやすみ”の代わりの気遣いの言葉に、あたしは電話を切ってすぐに布団に入った。そのおかげか、今朝は目覚めが良くて8時40分には部室の扉の前について、跡部がくるのを待っている。 それにしてもたった少しの間に冷たい北風と空気のせいで体がすっかり冷えてしまった。 レギュラー用の部室の鍵(というかキーカード)は三つあって、一つは榊監督がスペアとして、もう一つは部長の跡部か樺地君が、最後の一つはマネージャーであるあたしが持っていて必要に応じてレギュラーに回したりする。もう一つくらい作ってもとは思うのだが、セキュリティの面を考えるとやっぱり数を増やすのは良くないらしく、たまにこういう待ちぼうけになることもある。いっそのこと、番号式にすれば良いのになあ。 自分の吐く白い息を見つめながらそんなことを考えていると、コートの向こう側から歩いてくる跡部の姿が見えた。時間を確認すると8時45分、あたしの予想してた時間より5分早い。 跡部もあたしを見つけたのか、少し歩みを早めたのが解った。 「おはよう跡部。」 「ああ。お前にしては早いな。来たところか?」 「一時間くらい待ってたよ。さむーい。」 あたしの冗談に「ばーか。」と返した跡部は鞄からカードを取り出して部室の扉を開けた。中に入ってすぐに電気と空調をつけたので、冷えたこの部屋もすぐに暖かくなるだろう。 「あーほんと寒いよね。」 「お前いつも時間丁度にくるだろ?」 「今日早く目が覚めちゃったから。コーヒー入れようかな。跡部飲む?」 「コーヒーか…」 「あ、跡部は紅茶だよね。」 「いや、コーヒーで良い。」 「別にお茶いれるよ?」 「寝起きだからな。眠気覚ましになるだろ。」 寝起きなんだ、わかんないな。と心の中で思いながら、データ整理の準備を始める跡部の横顔をちらりと盗み見た。コーヒー豆の袋を開くと、濃い豆の香りが鼻をついて少しだけ頭がくらっとした。 いつも集合時間のきっちり10分前にくる跡部が今日は5分早く来たのは、もしかして寒空の下で鍵を持っていないあたしを待たせないようにしてくれたんだと思っても良いかな。冷えたカップをお湯で温めながら、そんな勝手な予想をして頬がゆるんでしまう。 そんなあたしは朝から跡部と二人きりで何かできるのが嬉しくて、早く来すぎてしまったなんて口が裂けても言えない。この気持ちが届くのはまたまだ先だなと思いながら、湯気の出てきたケトルのスイッチを切る。それと同時に、書類を扱う音と跡部の声が聞こえてきた。 「。お前、どっかにブランケットあっただろ。」 「あー去年跡部が持ってきたやつ?どこだっけ。でもあれ豹柄だからなあ。」 「文句言うんじゃねぇよ。今日は練習も外だからな、使えよ。」 「うん、ありがと。」 跡部のひとつひとつの言葉のせいか、それともただ部屋の中が暖まってきただけなのか、じわじわと手足の冷えが消えていく。背後からの物音の質が少し変わったので振り向いて跡部の方を見ると、彼の柄にもなく戸棚を開けたりして捜し物をしているのが見れた。 今はこの心地よい距離に身を任せようと思う。 -------------------------11.01.01 半両想いの恋(あけましておめでとうございます) |