少し重い瞼を開くと東向きの窓から入る日射しがまぶしくて目を細めた。まだぼんやりしている頭は侑士の八畳一間にいることを理解するのにしばらく時間がかかった。隣にいる侑士の高めの体温とアタシの低めの体温であたたかい布団とは裏腹に、頬に触れる空気は冷たくもう少しこうしていたいと思った。
それでも体を起こして、ベッドからおりると足先をつけた滑らかで冷たいフローリングがアタシを刺すように責めた。侑士は少し身じろぎをしただけで目はあけなかったけど、これでいて意外と神経質だからきっと起きてるんだろう。



アタシは手をのばしてこの部屋で唯一の電器ヒーターとガスコンロに火をつけて、床に散らばる服を拾い集めてカゴに入れ、後で侑士がランドリーに持っていけるようにした。侑士から借りているジャージを脱いで自分のジーパンに履きかえ、それもカゴにいれてしまう。上にきていたスウェットはまだ着ていたくて手をかけずに、無造作に置いてあった雑誌もそろえて、小さくて低いテープルの上の灰皿も片づけた。相変わらず部屋の中は寒くて、かけてあったカーデガンを勝手に着る。この何年間、数ヶ月に一度だけくるここの勝手はわかってる。でも、それだけだ。今の侑士について知ってる所なんて本当にこの部屋とあの変わらない低くて優しい声だけだと思う。

シュンシュンとやかんが鳴りはじめたので、戸棚をあけて不細工で大きいカップをとりだすとインスタントコーヒーをいれてお湯を注いだ。一口飲むと安物の香りと不味い味が口に広がり、冷めたアタシの体を少しだけあたためた。








?」



やっぱり起きてたのだろう侑士の寝起きの低い声がアタシの名前を呼んだ。けれど起きてくる気配のない侑士に背中をむけたままアタシは小さく「おはよう」とつぶやいた。侑士はそれを無視したのか聞こえていないだけなのかはわからないけど、欠伸をしたのだろう「ふあぁ」という間抜けな声が聞こえた。そこにあるのは布団のすれる音とアタシがコーヒーをすする音、それから古い冷蔵庫が小さく低くうなっていた。
アタシは黙々とコーヒーに口をつけてそのあたたかさを確かめながら、一秒一秒確実にきざみ続ける時計を睨み続けた。しばらくして侑士は起きてるのか寝ぼけてるのかよくわからない喋り方でアタシに声をかけた。







「新幹線、何時?」


「8時」


「早いな、」






そういうと侑士は黙り込んでしまった。2人の間にはしばらく沈黙が流れ、いつもは心地よいはずのそれはただアタシを息苦しくさせるだけだった。話したいことはたくさんあって一緒にいる時間だけでは話し足りないくらいなのに、今言いたいことを行ってしまえば後が苦しくなる、そう思った。
本当は同じ部屋にいるのにこうして背中を向けていることさえも辛くて、今すぐ侑士の所に飛んでいって触れたいのに。
その気持ちをごまかすようにアタシは口を開いた。







「今日も、部活?」


「うん、昼から」


「ちゃんと食べんねんで?カップメンばっかやったら、もたへんで」


「いざとなったら跡部にええもん食べさしてもらうし」


「部長さんに侑士のことよろしく、ってちゃんと頼みたいわ」


「あかん、会わしたら跡部がに惚れてまうやん」


「そんな物好き侑士だけやわ」








可愛くふくれる侑士にアタシはフフッと笑って、コーヒーにできる波紋を見つめた。古いヒーターはなかなか部屋をあたためてくれないので、足を摺り合わせた。そうだ、昨日たたんだ侑士の洗濯物、ちゃんとなおすように言わなきゃなぁ。
布団のこすれる音がしたから侑士は寝返りでもうったのだろう。そしてまたアタシの名前をよんだ。その声は低くて、心地よい。けれど少し掠れて喉の奥から一生懸命おしだしたような、侑士にしてはめずらしい声。それはアタシの寂しさを助長させるのに十分だった。









「ん?」


、好きや」


「うん、」


「好きや、」


「うん、うん」







好きや、好きや、とつぶやく侑士にアタシはバカみたいに泣きながら答えるだけだった。涙はポロポロと頬を伝い、短く息を吸うとコーヒーの液体の中にポタポタと落ちた。まるでそれはかき消されていくアタシと侑士の儚い願い、そんなかんじ。
いつもならありえない、同じ空気を吸っているっていう最高に幸せな状況なのに、侑士に切なそうに名前を呼ばれたアタシはどうして不味いインスタントのコーヒーを目の前に泣いてるんだろう。


コーヒーをすするといつもよりしょっぱかった。










涙のせいだろうか

















外は恨めしいほど寒くて、凍ったような空気は脳味噌までカチンコチンにしてしまいそうでアタシはマフラーにしっかり顔をうずめた。一人で歩くきれいに舗装された道には誰もいなくて、アタシの気持ちを一層寂しくした。侑士がいなければアタシはきっとこの町のことなんて大嫌いだろう。でも侑士がいるからアタシはまたここにやってくるんだろう。今度はいつだろう。そんなことを考えながら、冷たい風に対抗するように大股で一歩踏み出した。
アタシはアタシの場所へ帰る。侑士は侑士の場所で眠る。







(そして俺が見送りもせず布団にもぐってるのに怒りもせずアイツはバタンとドアを閉めた)05.12.22