ゴン。

いまのは幸村があたしの頭を殴った音。殴られたあたしは衝撃的な痛みに幸村のげんこつがとんできた場所を押さえた。











「いたぁ、なにすんのよ」




目の前の相手に抗議の意をあらわせば、何も悪くないような顔をして「だってがむかつくこと言うから」と幸村が部誌に目を通しながら言った。
同じ学年の同じ部活の部長とマネージャーという関係なのに、幸村はあたしに対していつもこうだ。他の女の子には決してそんなことないのに、あたしにだけ虫の居所が悪いと八つ当たりをはじめる。
今日だって、部員の話をしていただけなのに、いきなり機嫌が悪くなった。その上、手までだしてくるなんて、信じられない。






「むかつくって、」
「柳生のこと、格好いいっていったじゃないか」
「幸村だって、あたしより何組の何さんが可愛いとかすぐ比べるじゃない」
「それは事実だからね」
「柳生が格好いいのだってじじ、」


「事実」と言い切る前に、また頭に衝撃が走った。
二度目の痛みが頭の中に響く。




「いたぁ、だから柳生のがいいっていわれんのよ」




三度目の拳を受けないようにと、幸村から離れて叫べば「うるさい。そんな不細工な顔してるから他の女の子の方が可愛いって言うんだよ」とうすら微笑んだ表情をして、すごく嫌なことを言われた。



少し泣きそうになって、「帰る」と鞄を雑に持てば、「半泣きだよ」と追い打ちをかけられるような声が飛んできた。



「うるさい、話しかけないで、大嫌い。」
「嫌いで結構。話しかけられたくないんだったらマネやめれば?」




は?という気持ちで振り向けば、「要領悪くて仕事もできないし」とさっきと全然かわらない表情の幸村が、一年の頃からずっとマネージャーをしてきたあたしにとって、最悪の言葉を発した。




「そんなこと、言われると思わなかった!」




そう言い残して部室のドアを乱暴に閉めたけど、言葉の最後は涙声になったかもしれない。あたしだって自分がよくできたマネージャーだとは思わないけど、あたしなりにみんなと一生懸命やってきたつもりだった。幸村だって、ちょっときつくあたられることはあってもそれは解ってくれると思ってた。だから毎回毎回、泣くの我慢してやってきたのに。それなのに。



幸村が視界から消えるとボロボロでてきた涙を拭きながら、校門までの道をとぼとぼ歩いた。















「おやさん、また泣いてるのですか」




部活終わりで、もう誰もいないと思ったらさっきまで名前のでていた柳生が立っていて、泣いてるあたしを見て、あきれたように言ってハンカチを差し出してくれた。
あたしは鼻をすって、ハンカチを受け取ってお礼を言った。柳生のその優しさに、「さっきまで変な話の引き合いにだしててごめん」と心の中で思う。





「柳生どうしたの?」
「ちょっと忘れ物をしてしまいましてね」
「そう、ありがとう、明日ね」



「ええ」と言って、柳生は部室の方へ行ってしまった。
だから柳生は優しくて格好良いんだと思う。柳生だけじゃなくて、ジャッカルだってブン太だって真田でさえもあたしに個人的なことで嫌な思いはさせてこない。どうしてあいつだけ、なんて思いながら柳生に貸してもらったハンカチで涙をぬぐった。













幸村とあたしのこういうことは結構頻繁にあって、いつも言い合いになって頭の回転の速い幸村にあたしが言い淀んで、きれてしまう。けれど、次の日には幸村が何事も無かった様に話しかけてきて、あたしはそんな幸村にひどく嫌悪感を抱くのだけれど、結局マネージャーという立場上、部長と接しない訳にはいかない。
そうやって、幸村に対する不満はあたしの中に沈められる。

いつもより酷いことを言われた気がした今回も、どうせ明日になったら幸村が飄々と連絡事項を伝えにきて、それで終わると思っていた。癪だけど、毎回毎回のことなので仕方がないとあきらめていた。













けれど、次の日の幸村は明らかにあたしを視界に入れなかった。
いつもならあたしに言いつける用事もわざわざ他のマネを呼びに行って頼むし、用具を取りに行くのも自らでして、あたしとは一切の視線もあわせようとしなかった。
そのくせ、様子を察したジャッカルや柳なんかが「幸村と、なんかあったのか?」なんて伺ってくれば、「そんなことないよ。ねぇ、?」と優しい笑みであたしに微笑んだ。


そんな幸村に、あたしの警戒心はいつもの倍働いて、「何か企んでるの?」と睨みつければ、「自意識過剰じゃない。」と先程とは打って変わって冷たい表情と言葉が返ってきた。







「あたしのこと、無視してるじゃない。」
「俺に無視されると、嫌なの?」
「誰だって嫌に決まってるじゃない。」
「無視じゃなくて、頼んでないだけだよ。どうせできないでしょ」




幸村が言い終わると同時に、あたしは幸村にくるりと背をむけて部室に向かった。
そしてそのまま自分の荷物をひっつかんで外にでた。とにかく一刻も早くテニスコートから、部室から、幸村がいる場所から逃げたかった。幸村の前だけでは泣きたくなかった。コートから校舎へ急ぐ間に我慢してた涙が少しでてしまって、すれ違ったブン太に「うわ、また幸村になんかされたのか?」と声をかけられた。
ブン太には何も答えるこができず、自分の教室に行って少し泣いて、落ち着いたあたしは水道で顔を洗って、職員室の顧問のもとに急いだ。
あそこまで言われて、仕事をやり続けるほどあたしは立派な根性も持っていないし、頑張り屋でもない。今まで一緒にやってきた幸村以外の部員とのことは残念だけど、今は頭に血が上ってるのと悲しいのとで、一刻も早く幸村との縁を切ってしまいたい。














、頑張ってたのになぁ」


形だけテニス部の顧問をしてくれている先生は、「部活止めます」と言ったあたしに残念そうに答えた。テニスがよくわからないからと練習にはあまり顔をださないので、あたし達の様子には深く関与していない。
「勉強を優先したいです」と適当に理由をつけると、特に疑う事なく「じゃぁ退部届用意しとくからまた取りにきて」と納得された。立海が進学校で良かった。








あたしはもう一回教室に戻って、部活が終わる時間まで待った。
今は誰にも会いたくない気持ち。今までだってこういうことはあったけど、柳やジャッカル、柳生たちになだめすかされてここまでやってこれた。それに今まではもうちょっとマシな嫌味を言われるだけで、今回みたいにこんなに人の気持ちを考えないことを言われたことはなかった。
誰もいなくなった校庭を歩きながら、幸村の言葉と態度を思い出したらまた涙が出そうになった。ぐっとこらえて前を見ると、校門の側に人影が見えた。















「ゆき、むら」


まさか、やめてよ。そう思うあたしの気持ちなんか知らないように、幸村はあたしの名前を呼んだ。




「先生から聞いたよ、辞めたいんだってね?」
「・・・・・・・」


黙り込んだあたしを気にもしてないように幸村は「辞める事は許さないよ」と静かに言った。その言葉に、あたしは弾かれたように声をだした。



「幸村が、辞めろっていったんじゃない!」




幸村があたしを静かに見下ろして、しばらく何も言わなかった。
俯いていたあたしが、黙り込む幸村の様子をうかがおうと、チラリと上を向くとそれを待っていたように幸村が口を開いた。




「へぇ、僕が辞めろって言ったから辞めるの?じゃぁ僕が辞めるなって言ったら辞めないんだろ?」


「バカ、じゃない、」





思わず口からでた言葉は声にならなかった。
喉から苦い物がこみ上げて、気がつくとあたしは泣いていた。
今泣いたって、何にも解決しないのに。そう思う気持ちがあっても、あたしの鼻は痛くなり目から涙があふれてくる。




「人のこと、なんだと思ってんのよ」
「好きだと思ってるよ。」
「なんで、そうやってからかうの」
「そういうつもりじゃないんだけど」



・・・弱ったな、ちらりとそんな呟きが耳に入ったような気がした。でもあたしは泣いてしまった恥ずかしさに自分の足元しか見つめることができない。
幸村はあたしが泣いてることに対してどんな顔をしているのかもうわからない。けれど、次に幸村からでた言葉は思っていたよりもやさしい波長で、















「だって、俺の前でだけ絶対泣かないし」
「?」
「俺以外の部員の間では、は泣き虫で通ってんのに、俺は泣き顔見た事ないし」




言葉の意味がいまいちよく理解できなくてもう一度、幸村を見上げると、彼には珍しくあたしを見ずに、目線を横にそらしながらはなしていた。
それが、気まずさからなのか、別に深い意味があるわけじゃないのかは、あたしにはもうわからない。





「今回のは悪かったよ。柳生も丸井もが泣いてたって俺に報告してくるから、あいつらの前ではは泣くんだと思ったら、つい」



「好きなのは本当だよ、。」




幸村はあたしの頬に触れて、涙をぬぐった。その仕草も、幸村の声も今までとは打って変わって優しくて、溜まってたものが溢れるように次から次へと涙がでた。
あたしの気持ちはぐちゃぐちゃで、幸村があたしの泣き顔を見れた満足感に浸っているのなら、酷い人間だと思う反面、幸村に嫌われてなかったんだという安心感も確かにあった。





きっと君は泣く












-------------------------10.02.26
忘れてはいけない、殴られたという事実。