中学校に上がって間もない頃、家庭科の授業で調理実習があった。
6人班でご飯と味噌汁とオムレツを作る授業だ。





ぱしゃり。
嫌な音がして、そちらの方を振り向くと、班の子の一人である千歳千里くんの足下に殻の割れた卵がドロリと無惨な姿で落ちていた。









「千歳くん?」





中一にしては体の大きな千歳くんが割れた卵を見つめたままで動かないので、あたしが不思議に思って名前を呼んだら、千歳くんは「なんね?」って顔をあげた。






「そん卵、片付けんとなん」
「あ、そうばってん」
「・・・、千歳くん雑巾とってきなっせ」
「ああ、雑巾どこと?」
「掃除用具入れ。」






千歳くんはまた「ああ」と言って、あたしが指指した家庭科室の端まで歩いていった。
授業が始まってから千歳くんは、お米を炊くのも材料を切るのも、何一つ手を出していなくて、私たちがやるのを横で見ているだけだった。オムレツは自分の分は自分でやろうということで、やっと動いたのだ。そしたら卵を落とした。


でも、自分が落とした卵も片付けられないなんて、とあたしはちょっと千歳くんにびっくりした。





さん、雑巾ばこれでよかと?」
「うん、絞ってくるけん」







乾いたままで雑巾を持ってきたことに呆れたあたしは千歳くんから二枚の雑巾を奪ってから、料理をしている所ではなんなので、教室の端に備え付けられている水道の方に雑巾を洗いに行った。二人で床を拭いていると、千歳くんは「さんはえらかね」と言って、屈託のない笑顔を浮かべた。あたしは曖昧に返しながらこの子大丈夫かなと頭の隅で心配になった。





その後、千歳くんはヤンキーになってテニスを頑張っていた。(部活を頑張るヤンキーってなんだって思うけど、ヤンキーって運動できるやつ多いでしょ、そんな感じ。)
あたしは千歳くんと仲が良いわけでもなく、席が近かったり、同じ係になったら話す程度の仲だった。2年になったら千歳くんとクラスが離れてしまって、廊下とかで会えば挨拶するくらいになった。




でもたまに、千歳くんはあたしのところに体育祭の自分で縫わなきゃいけないゼッケンとか、提出期限ギリギリの美術の宿題を持って来たりした。
あたしはその度に、「こぎゃん、」とやり方を教えるのだけれど、千歳くんが全然興味を示さないので、結局あたしが全部やるはめになるのが常だった。








さんは器用だけん」
「そういう問題じゃなか。やる気の問題とよ。」
「そすと、さんのやる気ば、俺の分もはいっとお。」






人にやらせてる癖にニコニコ笑っていた千歳くんは3年にあがったら、いつの間にか転校していて、それからあたしの元に困りごとが舞い込んでくることはなかった。
春休み明けの学校で、友達から「あの千歳くん、転校していきなはったげな。」と聞いて、少しびっくりした。でもそれだけだ。




ほんのたまにだけどあたしは千歳くんのことを思い出す。副教科の課題が難しい時とか、学校行事の前とかに。別にあたしの携帯に千歳くんからの連絡なんかが入るわけじゃなく、あたしもメールしてまで様子を知りたいほど千歳くんのことが気になるわけでもなかった。







ボールが行き交うテニスコートの横を通る時に、そういえば千歳くんのテニスしてるとこ見た事なかったなーって千歳くんのことが頭の中をよぎった。千歳くんはなぜか大阪に引っ越していったという噂で、そんな都会であの千歳くんが無事に生きていけるのだろうかと少し気になった。
あたしは転校先でも、だれか千歳くんのことを気にかけてくれる人がいればいいね。と、いもしない千歳くんに心の中で呟いた。











easily get over



(そしてあたしは明日までの提出物のことを考える。)








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