小さい頃、あたしは入ったばかりの小学校が楽しくて、放課後遅くまで友達と遊びに明け暮れた。帰宅するたびに両親に「もう少し、暗くなる前に帰ってきなさい。」と叱られていた。それでもあたしは、次の日にはそんなことを忘れ、近所の友達と日が沈んでも遊び回ってはまた叱られる。そんな毎日の繰り返しだった。要は、少しバカな子だったんだと思う。 そんな勉強よりも何よりも友達とはしゃぐのが大好きだった小さなあたしが、一時期だけ友達とそれをやめたことがある。 ある日、近所に住んでいたクラスメイトたちと、探検と称して近所の大きなお屋敷の庭に忍び込んだことがある。忍び込んだ、といっても長い煉瓦塀の下の一部が、なぜか少し崩れていて小さい体の子供くらいなら、通れるようになっていた場所をくぐって入っただけで、すぐに誰かが「やっぱり辞めようよ」と言い出し、幼かったあたし達は怖くなってすぐに穴をくぐりなおして、いつもの遊び場の公園に戻った。 けれど、あたしはそこをくぐったお屋敷の中の庭に広がった光景に心を奪われた。 そこには家や学校、近所の家では見たことのない、絵本の中で描かれているような大きな大きな花が、連なって咲いていた。 その日から毎日、放課後になると友達の誘いを断って、その庭に忍び込んだ。初めは友達も誘っていたんだけど、みんな口をそろえて「やめなよ。」と言っていたので。 小学校の先生に図鑑で載っていたその花を見せると、”ばら”というその花の名前と”きちんと花を咲かせるのは大変”と教えてもらった。 お家に帰って、母親に「ばら育てたい」とねだってみても、「場所もないし手がかかるから」と簡単に却下されてしまった。 そんなこともあって、あたしは毎日その庭に通い、美しく咲く花を眺めた。まだつぼみのものも多くあって、それが開くのを心待ちにしていて大きく開いた花がいくつあるのかと、数を数えては、「今日も花が増えた」とまるで自分が育てたかのように嬉しくなっていた。今思えば、なんて暇だったんだろう。 二週間くらい、その庭に通っては花の数を数えただろうか、ある日、あたしは花の数がだんだんと減っていくのに気づいた。昨日まで「これ大きくてキレイにさいたな」と思っていた花が今日にはその場所になかった。初めは気のせいかと思ったが、毎日数が減っていくのでさすがにおかしいと思った。枯れて花が散った形跡もないし、きっと誰かが大きくてキレイなのだけを選りすぐってとっていってしまってるんだろう。 「誰だろう、花とっていっちゃうの…。」 あたしは人の家の庭だってことなんかすっかり忘れて、花泥棒を捕まえてやろうといきりたった。あたしがその庭に行くのは毎日、学校が終わった放課後。その時にはすでにお花は無くなっている。土曜と日曜日は朝に行って、いったん家に帰ってお昼ご飯を食べてからまた夕方頃に見に行く。その時のお花の数は………まぁいいや、今度の土曜日に一日中いてみよう。 ということで、土曜日。友達を誘っていたもののやっぱり断られ、あたしは一人でばらの茂みの下に潜り込んでいた。ばらの刺が少し頭にあたって痛かったけど、我慢した。 お昼過ぎ、いつもならあたしがお昼を食べに家に帰る時間。じっとしているのもそろそろ飽きてきた頃、人の足音が近づいてくるのが聞こえた。息を潜める。足音は、あたしのすぐ近くで止まって、少し間をおいたあとに、パキッと、ばらの棘をさけてるのか、慎重に花を手折る音が聞こえた。今だ、 「ばかやろー!」 あたしは大声をあげて、飛び出した。ちなみに、昨日のテレビで見た、モノマネ芸人の真似をして。人の真似をする人の真似という所が小さい頃のあたしにはセンスが無い。 そこには、あたしの大声に驚いた顔をして、同じくらいの背丈の男の子が立っていた。あたしも大人の泥棒を想像してたばっかりに、あれ?となる。 目の前の男の子は、あたしを上から下まで見た後に、怪訝そうにたずねた。 「なんだ、お前。」 「お前じゃないよ?だよ。」 「今会ったのに、名前なんて知るわけないだろ。バカ」 「あ、それもそうだね。だよ。よろしくね。」 あたしの言葉に、男の子はまた怪訝そうな顔をした。 「…なんでここにいるんだよ。」 「、毎日ここに来てたんだけど、最近ばらが減ってるから、盗ってる人を捕まえようと思ったの。」 そう言って、彼の手を見る。彼の手には、大きなばらが一輪、握られていた。 あたしの視線と言葉に、男の子は少し怒ったような顔をした。 「俺様の家にあるもんなんだから、どうしようと俺様の勝手だろ」 あ、この子はこのお屋敷の子なんだな。そういえば、服だってクラスメイトとは違う格好をしている。Tシャツじゃなくてボタンついてるやつだし、ベルトもしてるし、靴のかかとも踏んでない。大人が履いてるような靴はいてる。 「ねぇ。今日、入学式だったの?」 「はぁ?」 あたしの質問に、その子はまた変な顔をして、ため息をついた。 「とにかく、ここは俺様ん家だから、このばらも俺様のものだ。」 「でもとってっちゃったら、かわいそう。もお花、見れなくなっちゃう。」 せっかく毎日来てるのに、と付け足すと男の子は「なんでお前のために…」とぶつくさいった。と、それと同時にあたしのおなかが盛大な音をたてて鳴った。あ、お昼ご飯食べてないから。男の子の顔が、さらに変な顔になる。 「お前みたいなやつ、見たことない。」 「…おなか減ったから、帰るね。お花、とらないでね。」 とにかくそう言って、茂みと穴をくぐって外にでるために後ろを向いてしゃがみこむ。 けれど自分の背中に、「おい。お前。」という声がかかってすぐに振り向くことになった。 「ん?」 「今、俺のためにシェフがランチを用意してる。お前も食べていけ。」 「ランチって何?」 「昼飯だ。」 「本当?いいの?」 「ローストビーフでいいだろ?」 「へー…ローストビーフってなに?」 「お前、よくそれで、人に”ばかやろー”なんていったな。」 「あ、あれね、昨日のテレビの真似なんだよ。知ってる?」 「しるわけないだろ。」 「あ、じゃぁ教えてあげるよ。あのね、まずこうやってポーズつけて…」 その日、あたしはやっぱり絵本にでてくるお城みたいなお家でお昼ご飯を一緒に食べた。テレビで見るような料理を”ケイゴくん”という名の男の子は、フォークとナイフで上手に取り分けて食べた。食べ方のわからないあたしのためにも一口サイズに切り分けてくれた。 お家の中を見ると、ケイくんがとってきたと思われるばらの花が飾られていて、それを見てあたしが「あたしも見れるように、やっぱり庭にあるままにしておいて?」と頼むと、ケイくんは「さあな。」とそっけなく答えるだけだった。 その後も、庭の他の花を見たり、池の魚をみたり、ケイくんの家は学校の中庭や近所の公園以上にいろんな花や生き物がいてあたしはその一つ一つに「これはなんていうの?」と訪ね、ケイくんはその度に「これは、」と迷い無く教えてくれた。 家に帰ると、夜が遅くなったことと勝手に知らない人の家でご飯を食べてきたことでまたお母さんに叱られた。 でも、あたしは懲りずにその日から毎日、ばらの花の咲く庭でケイくんと遊んだ。あれから彼はばらの花をとっていくことはしてない様で、あたしはそれも嬉しかった。 口は悪いけど、頭の良くて優しいケイくんと遊ぶのは楽しかった。でも、あたしと同じ年くらいのケイくんが、学校も行かずにお家にいるのって何でだろう、と疑問に思って訪ねようと思ったある日。 「俺はイギリスに住んでるからな。今は学校が休みなんだ。で、おじいさまのいるここに休暇で来ている。」 「へーいぎりす?どこ?」 「外国だ。ヨーロッパにあるだろ。 「よ……?外国って、あめりか?」 「…お前、まいにち学校で何してるんだ?」 「えー縄跳びとか、モノマネとかかなぁ」 「……」 この呆れた顔も慣れっこになってしまった。 ケイくんの方もぽかんとしたあたしの顔を見飽きたのか、ため息をついて自分の言葉を続ける。 「とにかく、俺はイギリスに住んでる。来週には戻るしな」 「外国じゃ遠いよね。もう来られなくなる?」 「そうだな。」 ケイくんは少し黙ってあたしを見た。あたしは少し寂しい気持ちになって、ケイくんの高そうな服の裾をきゅっとつかんだ。そんなあたしの頭を「バーカ」と言ってなでてくれたケイくんに、あたしはなんだか照れくさくなって「違うよ、”ばかやろー”」だよ。っと言った。でも、服の裾はつかんだままで。 その後、しばらくして、ケイくんは外国にある家に帰っていった。最後に、あたしの腕にばらの苗を持たせて。次にまた日本に来た時は、また会おう。そんな約束は無く、あたしはばらの苗を貰ったことにとても満足して、ケイくんと別れた。 うちに帰ると、お母さんに頼んで鉢を買ってきてもらいその苗を植えた。しばらくして、ケイくんの家の庭のばらは花びらを散らして枯れてしまった。季節が巡ればまた花が咲いたのだろうが、あたしはまた近所のクラスメイトとの遊びに戻ったので、あの庭に足を踏み入れることはだんだんと少なくなった。しばらくして、お屋敷の横を通った時に気になって煉瓦塀の方へ行ってみたけれど、あの穴はキレイに埋められていた。他の場所からはとても忍び込めそうにもなかったので、それからはあの庭に足を踏み入れていない。 → ------------------------------2012.02.19 小さい頃の話がやたらと長くなってしまったの巻 |